都市型社会と精神病の相関性に関する考察

先日(と言っても1週間以上前になりますが)、部活動で少子高齢化社会における問題点について意見を出し合っていました。
その中で、私がふと気になったことを考察してみます。
テーマは「都市型社会」と「精神病」。
専門家ではないので、正しいことを書いているとは思いませんが、一考察としてお読みください。
また、私は東京在住ではなく、四国の田舎に住む一学生でありますので、東京の2週間過ごした経験と友だちからの話により構成されています。
なので、もしかすると世界観に誤りがあるかもしれません。

精神病の定義

ここで取り上げるのは「内因性精神病」や「心因性精神病」と呼ばれるものを指します。
ストレスなどの要因によるものや、鬱病などを指すつもりです。

都市型社会の定義

今回、都市型社会と称しましたが、「東京型社会」という方が適切かもしれません。
東京の生み出した環境、という意味で捉えてください。

東京型社会の生み出すもの

東京における問題点、それは地域交流の減少と自然交流の希薄化です。

まず一つ目、地域交流の減少について。
これは、いわゆるご近所付き合いなどといった、同じ地域に住む人々によるコミュニティ、或いは校区によって区分された、地方自治体の運営する小・中学校のようなコミュニティです。
東京圏において、自分以外への人間への興味関心が薄いように感じます。
隣で人がこけようが倒れようが、自分の仕事が第一です。
近所付き合いに関しても、田舎でよく見かける「〇〇がたくさん採れたからお裾分け」といったようなことが少なく、隣の家は赤の他人、関わる必要のない存在、というような意識が強いように思えます。
また、学校においては、私立中学に入学させるなど、地域の学校ではなく遠くの学校に行くなど、近くの家の友達が少なくなりがちです。

このように、地域におけるコミュニティが非常に薄い、と考えます。

次に、自然交流の希薄化についてです。
これはその通り、東京には自然の緑が非常に少ないです。
そこにあるのは、コンクリートに囲まれた街だけ。
自然の公園、森、海...そのようなものは殆どないでしょう。
子どもたちの遊び場である自然が失われ、いったい子どもたちはどこで遊んでいるのか。コンクリートの上ですね。

これらから想像する結論

私が想像する結論は、以下のとおりです。
東京型社会に住む人々、特に若者は、地域コミュニティーを持たず人々との交流関係が希薄である。
それに加え、自然交流が少ないことから、本来幼少期に伸びるはずである感性や障壁に関する耐性、つまり、自然のあたたかみを享受できておらず、自閉的になっているのではないか。
これらのことが、ひとつの精神的ダメージを受けた際に、心を支えきれず、また相談したり大丈夫?と声をかけてくれる存在を持たないことから、常に孤独的状態に陥り、精神疾患に繋がるのではないか。

感想

いろいろ考えましたが、なんだかんだでうまくまとまりませんでした。
個人的に、何らかの相関性...主に、希薄な自然交流については絶対に精神に影響があるはずなのですが、頭のなかではうまく整理しきれませんでした。
コミュ障などといった問題も、このへんにあるはずです...が、やっぱり結論まではいかず。
私の脳は弱いなぁ、と自覚しただけになりました。

駄文失礼しました。